【知育】「子育てのゴール」を明確にして、ブレない育児をしようと決めた

自分の持つ「特権」を自覚し、パッションを持って、世の中をよりよくするためにその「特権」を使える人間になってほしい。
これはまもなく2歳になる息子に、私たち夫婦が望むことです。
日々の育児を積み重ねた先に目指す、「子育てのゴール」とも言えるかもしれません。
「子育てのゴール」と言うと、世間でよく聞かれるのは
  • 経済的・精神的に「自立/自律」した人になって欲しい
  • 自己肯定感を持った人になって欲しい
などでしょうか。
私も、息子が0歳の時はそのような育児観を漠然と抱いておりました。しかし、30冊を超える古今東西の育児書を読み漁るうちに、考えが変わります。

この子はこれから成長していく上で、すでにかなり恵まれたスタートラインに立っている。『自立』だ『自己肯定感』だなどと今更望むのは、あまりに視野が狭いのではないか?
と、考えるようになったのです。

ぶっちゃけ格差社会の上側で育ったせいで、世間知らずのまま大人になった私の反省

私は、安定したサラリーマンの家庭に生まれ育ちました。都内の治安の良い地域の公立小学校に通い、中学受験に成功。中高6年間を私立校で過ごし、推薦で、国内トップの私立大学に進学しました。(夫とは大学で出会いました)
つまり、大人になるまでの約20年間の人生、私のコミュニティは「そこそこ恵まれた人々」で固まっていたのです。「そこそこ」の範囲は広く、中には都内一等地に構えた豪邸にお住まいのお嬢さんや、長期休暇の度に軽井沢やハワイの別荘に旅立つ子もいました。しかし上には上がいても、「明日食べるものに困っている」とか「親に虐待されている」とかそういう格差社会の下側で苦しんでいる人を、実際に目にすることはありませんでした
ある意味世間知らずの状態のまま、大人になってしまった私。
しかし大人になってから、世の中に存在する「格差」や「特権」を強烈に意識することになる経験を2つします

ガールズバーで働く「底辺女子」たちとの出会い

1つ目は、大学3年の夏休みに周囲にナイショでやったガールズバーでのアルバイトです。
大学での研究活動と就職活動が重なり忙しくなってきた時期。「でも遊ぶお金は必要・・・」ということで、手っ取り早く稼げる夜職に手を出したのです。
お店に勤める人たちは、私がこれまでの人生で出会うことのなかった人種で構成されていました
まず、年齢を18歳と偽って働く、16歳の女の子。
両親は離婚、引き取ってくれたはずの祖母からも捨てられ、16歳でも雇ってくれるこのお店までわざわざ都外から片道1時以上かけて通っているといいます。18歳という設定ながら、平然と酒・タバコを嗜んでいたのも強烈でした
成人済みの女の子たちは、生活費を稼ぐために働いていました。
「朝までここで働くじゃん?で、10時にパチ屋が開くから打つじゃん?昼に家帰るじゃん。寝る前に1杯飲むんだけど、『このまま死ねないかな〜』って思いながら寝るの。でもまた起きるわけ!で、また出勤すんじゃん?」
彼女たちは「なんのために生きてるかわからない」「早く死にたい」と、楽しいことでも話すかのように繰り返します
「世の中の1番汚い部分に触れた」とでも表現すればよいのでしょうか。
お店では、「○○駅のロータリーにいつもいるお兄さんは覚醒剤を売ってる」といった明らかにクロな話題も展開されていました。私はこのガールズバーで、自分がこれまでいかに偏ったクリーンな世界で生きてきたかを痛感します
そしてこのアルバイト経験を境に、自分が生きている社会の反対側に無自覚でいられなくなるのです

港区ママに教えられた、リッチで夢のある子育て観

ガールズバーでの出来事の他にもう一つ、私の価値観を変えた経験があります。
それは24歳で夫と結婚した時、日本で1番お金持ちの多い自治体ー港区ーに引っ越したことです。(激務だった夫の会社の近くに住むためでした。)
港区にはその後、4年間住み、出産と子育ても経験しました。
港区という言葉のイメージ通り、そこで出会う人たちはリッチな方々ばかりでした
子どもが生後6ヶ月のうちから、インターナショナルスクールの見学を始める家庭も珍しくありません。「イギリスの○○という学校が良さそう」なんていう、海外の教育事情に関する情報交換も気軽に行われます。
支払い能力があれば、世界中にある豊富な選択肢の中から、最適な教育や体験をポンと子どもに授けることができるのです
港区での子育て経験は、私の視野をグーンと広くしてくれました。いま私がモンテッソーリやレッジョ・エミリアなどの「非認知能力」を育むメソッドに注目し、本気で海外移住を目指しているのは、あの土地での子育て経験があってこそです。
しかし、同時に大きなモヤモヤを心の中に抱えることになります。それは、「富が富を再生産する」過程を目の当たりにしたことです。恵まれた家庭に生まれた子どもは、スタートラインが違います。その時代にもっともよいとされる教育法・メソッドにアクセスすることができ、伸び伸びと自由な発想で育ち、自己肯定感を育みながら理想的な人材となるのです。
一方で、中〜低所得者家庭に生まれた子どもは、親がよっぽどの犠牲を払わない限り、日本の公教育に頼る他ありません。私は最新の学習指導要領を読みましたが「依然として10年程度の周回遅れである」という感想を抱きました。
これでは、子どもたちが成人する20年後には格差がさらに大きくなってしまいます

分断された格差社会で。私の子どもは「上側」で人生をスタートするけれど、それを当たり前に思わないでほしい

私たちの家庭は、現時点ではお金持ちとは言えません。
しかし、子どもの教育のために海外移住を実現できる程度の収入や能力はあり(私たち夫婦はまだ20代。もちろん簡単にはいきません、渡航すれば貯金は一旦ゼロになるでしょう)、その意味では恵まれた世界の住人です。逆立ちしたって海外教育移住などできない家庭から見れば、十分に「特権」があると言えるでしょう。
そんな家庭に生まれた子どもが、やれ「自立だ、自己肯定感だ、自己実現だ」と親に望まれているとしたら、あまりにハードルが低いというか、視野が狭いというか、内向きな思考に思えます。
ですから子どもには、自分は何に恵まれているのかという己の持つ「特権」に自覚的であって欲しいし、それを自己の利益追求のために使うのではなく、社会をよりよくするために活用してほしいと願うのです。
もちろん「特権」というのは家庭の経済力に限定されず、「足が速い」とか「顔が良い」とかいう次元のアドバンテージもありますし、ジェンダー論の観点から見れば「男性である」ことすら特権と捉えられます。「自分はどんな特権に恵まれているんだろう」と考え、自覚する作業は、子どもに任せたいものです
また、「社会をよりよくする大人になってほしい」という願いは持ちつつも、その手法については子どもが選ぶものだと考えています。「困っている人を見かけたら声をかける」という日常レベルのアクションだって立派な行為です。寄付をする、ボランティア活動をする、会社を立ち上げる、という大掛かりなアクションをとるかもしれません。全ては、子どもの自由です。
自分の持つ「特権」を自覚し、パッションを持って、世の中をよりよくするためにその「特権」を使える人間になってほしい。
ただ親が3食提供して身の回りの世話をするだけでは、こうした人間にはなれません。親は子どもが成長するのに必要な足場を、タイミングをはかりながら提供してあげる必要があります。
その足場というのは具体的には、日々の生活だったり、お稽古ごとだったり、絵本だったり、自然の中でのアクティビティだったり、特定の知育玩具やワークだったり・・・、特別なものから平凡なものまでのあらゆる経験・体験を指します。
そうした経験・体験をサポートするものとして、私たち夫婦はモンテッソーリ育児やレッジョ・エミリア教育に出会い、目をつけました。実際にはまだ家庭保育の年齢ですから、それらのメソッドやアプローチ法から「いいな」と思った部分をいいとこどりして日々の育児に活かしている程度ですが、息子のめざましい成長を見ていますと、この考え方を適切なタイミングに知ることができて本当にラッキーだったと思うのです。

例えばこちらの書籍。Amazonのレビューはなぜか微妙ですが、「こんなオシャレな環境で楽しく育児できるなんて!」と目から鱗のインスタ映え(?)な育児アイディアが満載で明るい気持ちになりました。
このサイトは現状では妊娠初期に関するコンテンツが人気で、妊婦さんに多くご訪問いただいています。これからは筆者の個人的な「知育」や「海外教育移住」についての考えを発信していきますので、無事に出産まで辿り着いた後、ワクワクしながら育児ができますよう・・・何らかのお手伝いができれば幸いです。