偏差値トップ校でも底辺校でも日本の学校は時代遅れ

トップ校も時代遅れアイキャッチ

偏差値が全てじゃないっていうけど、学習意欲の高い子は上位校に集まるでしょ

偏差値が全てじゃないなんて、理想論だよね

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偏差値教育は理にかなっているという考え

上位校には、学習意欲の高い子が集まるという現実

以前、偏差値が荒唐無稽であるという主張をしましたが、それでもなお、偏差値で学校を決めるのは理にかなっているという人がいます。

根拠は、こうです。

模試で偏差値70の子どもは、偏差値ランキングの上から下まで全ての学校が射程範囲に入ります。ところが現実には、成績優秀な子は、偏差値35の学校を第1志望にはしません。上位校を、第1志望にします。

偏差値ピラミッド

すると成績優秀な子どもたちは、自然と上位校に集まってきます。

したがって偏差値の高い学校で行われる教育は、おのずとハイレベルなものになるだろう、と考えられます。

少なくとも勉強が好きな子にとっては、名前さえ書けば入学できる学校より、居心地の良い場所になりそうです。

偏差値ランキングの外の学校を選ぶ、という動き

昨今、一部の親が、子どもをインターナショナルスクールやオルタナティブ教育の学校に進学させる動きが出てきました。教育のために海外に移住する家庭まで現れています。

わが家も、なんとか移住できないかとトライしている最中です。

なぜ、そこまでするのでしょうか。

偏差値競争に乗っかるのだって、別に悪い選択ではないはずです。だって、偏差値上位の学校には、学習意欲の高い子どもが集まるのですから。

私の考えでは、この質問の答えは、半分YESで半分NOです。

確かに偏差値が高い学校には学習意欲が高い子どもが集まります。それは素晴らしいことです。しかし、そこで行われている教育は、良い教育なのでしょうか?

私は、時代遅れの代物だと考えています。

以下は、すべてあくまで私の考えです。

偏差値でランク付けできる学校=知識偏重型

上位校も底辺校も、知識偏重型(ちしきへんちょうがた)

私は、偏差値ランキングに載っている学校は、

トップであっても底辺であっても、おしなべて時代遅れの教育をしている

と考えています。具体的にいえば、

  • 正しい知識を、どれだけたくさん記憶できたか
  • 聞かれた質問に対して、正しい知識を取り出すことができるか

を重視する教育です。これを、知識偏重型(ちしきへんちょうがた)教育といいます。

なぜ異なる学校を、偏差値でランク付けできるのか?

そもそもなぜ、偏差値ランキングが存在するのでしょうか?

それは、すべての学校が、答えが1つしかないペーパーテストの成績をもとに入学の可否を決めているからです。

もしも、学校Aはアートの実技だけで合否が、学校Bはディベートだけで合否が決まるといったふうだったら、偏差値ランキングなど作れないはずです。

ペーパーテストの成績をもとに合否が決まるのは、日本国内の中学受験・高校受験・大学受験、すべてに当てはまると考えています。(ただし大学は、10年前に比べると、ペーパーテストの成績の重要度が下がりました。これは喜ばしい変化です)

カリキュラム中心の教育の限界

上位校も底辺校も、カリキュラム中心

偏差値ランキングに載っている学校はすべて、

  • 国が決めた学習指導要領をもとに
  • 国が認めた検定教科書を使って
  • カリキュラムに従った授業

を進めます。

カリキュラムがあると、親は安心します。デキの悪い子どもでも、最低限カリキュラムの範囲内の教養は身につけさせられると思えるからです。

しかし実態は違います

カリキュラムはできる子もできない子も不幸にする

義務教育の間は、規定のカリキュラムについていけていなくても、自動的に進級させられます

また高校でも、よっぽど問題がなければ留年にはなりません。私の母校では例年1〜2名ほど留年する子がでましたが、結局ドロップアウトしていました。

逆に、カリキュラムが物足りないという子も、飛び級はできません

できる子もできない子も、ただただジーッと席に座って、ひたすら我慢しているのが、日本の学校です。

そもそもカリキュラム中心主義は、工業化の時代に、良質な労働者を効率的かつ大量に育成するという需要から生まれました。つまり、上からの命令に逆らわず、言われたことを正確に記憶し、指示通りに粛々と動いてくれる労働者の育成が目的なのです。

いまの時代に工業化の時代の常識が当てはまらないのは、火を見るより明らかです。

疑問と問題解決を育む教育の必要性

現代ビジネス界の変化のスピードが早すぎる

社会に出ると、私たちは、誰かの課題を解決することでお金をもらいます

現代は、その解決すべき課題が目まぐるしいスピードで変わります

どれぐらいスピードが速いか、具体的な話をしますね。

私はよくChat GPTに仕事を助けてもらいます。しかし機能がほんの少し足りなくて、むず痒い思いをします。私だけでなく、世界中のユーザーが、同じことを思います。このむず痒さが、解決すべき課題です。

企業は(個人も)課題にいち早く気づき、ソリューションを提供することでお金を稼ぎます。これで一件落着。サービスができて、その周辺領域で、数年ほど小さなサービスが盛り上がる。これが、2022年までの世界でした。

では、2023年に何が起きたか。

盛り上がった周辺領域を、即座に大きなサービスが飲み込む、という事態が起きています。この一連の、課題が発生→解決→次のサイクルへ、が1週間以内というスピード感なのです。

元文科省大臣の警告。今のままの偏差値教育では大量の失業者が出る

こんな社会では、

  • 上からの指示に疑問を持たず
  • 粛々と言われた通りの作業をこなすだけ

そんな人間に、解決できる課題はありません。ゼロです。

元文科省大臣の下村氏は2015年のインタービューで

今のままの偏差値教育をしていたらこの国は失業者を大量に出す

と警告しています。

※そう思うならアンタ、大臣だったんだから改革しとけよっていうツッコミは今回は控えます

経済的な成功が全てではありませんが、人間は霞を食べては生きていけません。

すべての人間が経済的に成功できないにしても、国の中の誰かには、稼いできてもらわなければいけません

親たちは、どうすればよいのか

日本の教育システムから抜け出す家庭は、ズルいのか?

子どもをインターナショナルスクールやオルタナティブ教育の学校に進学させる動きを見ると、

「自分たちだけ助かろうとしている」

と苦々しく思う人もいるかもしれません。それらの選択肢は、経済的に豊かでないと、気軽にアクセスできないからです。私もそれらを検討した時、学費の高さにびっくりしました。

でもこれは、今はこうである、というだけのことです。

誰かが何かをしてくれるの待つのをやめよう

どの国でも、教育改革は保護者のほうからムーブメントが起こって実現しています

例えばいま教育移住先として大人気のマレーシアでも、10年前は、公教育がめちゃくちゃだったそう。国のやり方に不満をもった保護者が一斉に子どもをインターナショナルスクールに転校させた結果、国が動いて、教育の選択肢が豊かになったそうです。

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私はこの本を読んでマレーシアの事情を知ったのですが、読み終わって、覚悟が決まりました。

それは、誰かが何かをしてくれるのをただ待つのをやめよう、ということです。


なぜ偏差値教育を批判する記事を書くかというと、それ以外の選択をした人を応援したいからです。

そして共感してくれて、経済的にも家庭事情的にも動ける人には、どんどん行動してほしいからです。

そうしたら、いまは選択肢が少なくても、やがてその他大勢(わが家を含む)にもアクセスできるようになるはずです。

いま自分に手が届かないからといって、ねたむのはまだ早い。

共感してくださったら、ぜひこの記事をSNSでシェアしてください🩵

それはこの国に偏差値教育以外の道をつくるための、強力な力になります。