「多様性」社会に勝つ子ども、負ける子ども

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「多様性」の大誤解

「多様性」はありのままの個性を認め合うことではない

子育てをしている人なら、知っておいたほうが良いことなので共有します。

私は、ここ最近「多様性」が叫ばれるようになったのは、世の中の人権意識が高まったからだと考えていました。

しかし、それは完全なる誤解でした。

結論から言うと、昨今の「多様性」とは

人々を分ける基準が、人種・ジェンダー・年齢・宗教・身分から、別の新たな価値基準(後述します)に移行した、というだけのことです。

敵か味方かを見分ける”しるし”

もうちょっと噛み砕いて、説明しますね。

人類は、旧石器時代ですら数千人規模の社会を構成していたとされる。これは脳の認知の限界を超えるので、相手が誰なのかわからなくても(匿名でも)社会を成り立たせる仕組みが必要になった。このとき使われたのが、味方なのか敵なのかを瞬時に判断できる〝しるし〟で、言葉(方言)や文化(刺青や服装、装飾品)、音楽などだ。これによって、同じ〝しるし〟をもつ者たちが協力して、異なる〝しるし〟をもつ者たちを皆殺しにすることが可能になった。

橘玲. バカと無知人間、この不都合な生きもの(新潮新書) (言ってはいけない) (Japanese Edition) (p.147). Kindle 版.

近代に入ってからは、この”しるし”が人種・ジェンダー・年齢・宗教・身分(学歴や、親の職歴)に変わります。

日本社会では、健康で、体力のあるシス男性(高等教育を受けているとなお良し)が企業に優遇される時代が、戦後長く続きました。いまだって、実績のある中年よりも、大学の運動部に所属する「体育会系」のほうが歓迎されています。

しかし、変化はアメリカで始まりました。

2000年前後にインターネット革命が起こると、アメリカの大手IT企業は、従来と同じ”しるし”を基準に人材を選んでいては、利益を上げることができないと気がつきました。

現代社会は、知能の高い層にきわめて有利な仕組みになっています。

一昔前は、記憶力が良かったり、暗算ができたり、字が綺麗に書けたり・・・そういったことで差別化を図り、お金を稼ぐことができました。でもインターネット登場後、それらのことは経済的に無価値になったのです。

「多様性」の枠に入れない、ざんねんな人たち

「多様性」と聞くと、私やあなたの個性をありのまま認めて、無条件に受け入れてくれるような温かさを感じます。でもそれは、正確ではありません。

現代社会が歓迎する「多様性」の中には、

知的に能力が低い人と(イノベーションを阻害する)保守的な人は入っていません。

黒人でもヒスパニックでもアジア人でも、

男でも女でもゲイでもレズビアンでもトランスジェンダーでも構わない。

片足がなくても、寝たきりでも構わない。

どんな「多様な」バックグラウンドを持っていても構いませんよ、ただし、知的能力が高くて、変化を歓迎する人間に限ります。という、ただそれだけの話です。

白人シス男性しかいないプールよりも、「多様な」人材のいるプールのほうが、光り輝くタレントを発掘するのは容易です。

だから、知的能力が低くて、(イノベーションを阻害する)保守的な人は「多様性」のプールに入れてもらえません。

「多様性」の枠に入れなくても、生存する方法

では、「多様性」から排除されてしまった人は、絶望するしかないのでしょうか。いいえ、そうではありません。

確かに、知的能力が低くて保守的な人が、高度情報社会で展開されているゲームで勝ち上がっていくのは難しいでしょう。起業して莫大な富を手に入れたり、高級取りの会社員として活躍したりするのは無理そうです。

ならば、経済的な成功に頼らずとも幸福を感じられるように、価値観をアップデートすれば良い。こう主張するのが、近年論客として人気の高いひろゆき氏です。

「買い物などの消費活動ではなく、生産活動によろこびや癒やしを得られるように生きていくこと」(『ラクしてうまくいく生き方』)

ひろゆき氏は、これが大衆がとりうる生存戦略だ、と説きます。(ひろゆき氏自身は、ゲームの圧倒的勝者です。ですが圧倒的すぎて、嫌味にとられないようです)

日本より早く貧富の差が拡大したアメリカで、ミニマリズムや禅に注目が集まったのは偶然ではないはずです。

わが子を「多様性」を盾に放任するのはリスクでしかない

これらを鑑みると、子どもの性質をなんでもありのまま「個性だ」とか「多様性の1つだ」と言ってもてはやすのは、なかなか無責任といえます。

AIの登場によって、今後もっと知的ゲームが苛烈になるのは不可避です。

知的能力が高く、変化を好む人のプールに入れたとしても、かなり上澄みのほうしか生き残れなくなります。

親はどのようにして子どもを導けばいいのでしょうか。

個人的な仮説はあるのですが、また別の機会に記事にします。